シェアリングワーク
2009-10-29 16:59:43 (14 years ago)
昨日は「五行のエッセンスと算命学」を融合した、ワンデースペシャルワークでした^^
参加者の方々の純粋に真摯に自分自身を語る姿にいつも感動を覚えます。
このワークの主体はあるがままの自分を差し出し、今感じていること、
思っていることを参加メンバーで分かち合う、シェアリングです。
一切の批判や判断なく、自分の思いを出せる場(シェアリングワークショップ)
というものの体験をしたのは1996年のことでした。今から13年前になります。
当時私はバンコク在住3年目。
自分が外国人として暮らす初めての体験をし、日本人であることについて考えたり、
日本にいるときのような色々なしがらみからは逃れて自由であった分、
家族や夫婦の密着度は強く、そこに逃げ場がない、向き合うしかない状況が生まれたり、
生まれて初めて家の中に使用人(メイド)がいるという体験、
しかも、言葉も通じない、何もかもが違いすぎる相手と
どうコミュニケーションをとって、お互いが自然に暮らせるのかといった課題も
抱えていました。
3年目ともなると、やれ、ゴルフだテニスだ、エステだ、ネイルだ、マッサージだ、
またタイ語に英会話に料理にフルーツカービング、タイダンス、ポーセリンアート、
などの習い事にも、
メイドに家事一切を任せて、奥様達と毎日のように出かける豪華なホテルランチや
パーティーにも飽きてきて、ここに暮らしている私って一体何なんだろう?という疑問や、
このままでいいのか?という思いにも駆られるようになっていました。
初めてづくしのことは十二分に堪能して、路上ではだしで花を売る子供達のいる国で、
自分がやっていることの空虚感も膨らんでいたのです。
そんな時、バンコク日本人学校のPTAの広報の役員になりました。
あるんですよ!!海外でも。
バンコク日本人学校は当時1500人もの生徒がいる
世界最大のマンモス日本人学校でした。おそらく今もかなりの数がいるのでしょう。
ですから、PTA総会ともなれば、ホテルの大宴会場を押さえて、
ホテル側との折衝をするということが必要だったり、
広報としてのビッグイベントである毎年二回の講演会に誰を招くか、
参加人数の把握と講演者との交渉、ホテル決めといったことが仕事でした。
日本から著名人を招くことも多かったですね。私のときは林真理子さん。
学校の出身者でもある浅丘ルリ子さんを招いた年もあったようです。
この講演会にバンコク在住の日本人精神科医の方に来ていただき、
「自分らしく生きるとは~コミュニケーション論~」をお願いしたのがきっかけで、
先生と内容ややり方などについて何回もやり取りを重ねるうちに仲良しになり、
講演終了後に
「真琴さん、この広報委員のメンバーでシェアリングワークショップをやってみない?」
と誘われました。
シェアリングワークの基本知識やルールなどをファシリテーターや参加者という立場を
通して、学んでいきました。
初めてその体験をしたとき、
「世の中にこんな面白いものがあったんだ!!!」と感動しました。
自分のつたない思いや心の中にためていた感情を言っても良いのだ!、
そして批判もジャッジもなしに最後まで聞いてもらえる!!ことの
喜びからだったのだと思います。
基礎を学び、グループを結成して先生の指導を受けながら1年。
皆がそれぞれの「ハードル」を越えられるように、という願いでつけられた
「ハードル会」という名前。
ずっと同じ8人のメンバーで月一回集まって、全員が順番にファシリテーターとなり、
そのつど、その会の内容をノートに記録し、次の会のファシリテーターに渡していく
ということをしていました。
帰国する人や卒業する人がいて、二年目になった時に新しくメンバーを入れ替え、
アドバイザーでずっと指導してくださった先生が
「もう私がいなくても大丈夫」と離れてさらに一年続きました。
私が帰国になったとき、2年目のノートに皆が私への一言を書いて、大事なノートを
記念にプレゼントしてくれました。急に懐かしくなってノートを開いてみると、
♪ 自宅で主催する外国人相手(日本人以外)のパーティーがプレッシャーで苦しい。
♪ タイ人への怒りと日本人としてのアイデンティティについて
♪ 外国での子供の教育について
など、日本では決してテーマにならにような内容もたくさんありました。
グループワークの醍醐味もまたその中で起きた問題点や反省点なども
先生のアドバイスとともに当時の自分達の悩みがそのまま綴られています。
私がファシリテーターをした会の感想にこんなことを書いていました。
☆あるがままの姿をだそう。
☆自分と違う意見をもっと尊重できるようになりたい。
☆人を知るのには時間がかかるもの。
自分達をみつめあってきた時間や自分そのものを愛おしいな~と感じています。
異国で暮らした大切で貴重な体験と共に、
同じその時間を共有していた仲間たちと語り合えたあの日の私は今の私に繋がっています。
そして、今、『五行のエッセンスと算命学のワーク』においても、
新しく始まる『魂の愛の学校』においても
シェアリングワークがその背骨の役割を担ってくれるのだと思うのです。
今後も大切にしたいワークです。
参加者の方々の純粋に真摯に自分自身を語る姿にいつも感動を覚えます。
このワークの主体はあるがままの自分を差し出し、今感じていること、
思っていることを参加メンバーで分かち合う、シェアリングです。
一切の批判や判断なく、自分の思いを出せる場(シェアリングワークショップ)
というものの体験をしたのは1996年のことでした。今から13年前になります。
当時私はバンコク在住3年目。
自分が外国人として暮らす初めての体験をし、日本人であることについて考えたり、
日本にいるときのような色々なしがらみからは逃れて自由であった分、
家族や夫婦の密着度は強く、そこに逃げ場がない、向き合うしかない状況が生まれたり、
生まれて初めて家の中に使用人(メイド)がいるという体験、
しかも、言葉も通じない、何もかもが違いすぎる相手と
どうコミュニケーションをとって、お互いが自然に暮らせるのかといった課題も
抱えていました。
3年目ともなると、やれ、ゴルフだテニスだ、エステだ、ネイルだ、マッサージだ、
またタイ語に英会話に料理にフルーツカービング、タイダンス、ポーセリンアート、
などの習い事にも、
メイドに家事一切を任せて、奥様達と毎日のように出かける豪華なホテルランチや
パーティーにも飽きてきて、ここに暮らしている私って一体何なんだろう?という疑問や、
このままでいいのか?という思いにも駆られるようになっていました。
初めてづくしのことは十二分に堪能して、路上ではだしで花を売る子供達のいる国で、
自分がやっていることの空虚感も膨らんでいたのです。
そんな時、バンコク日本人学校のPTAの広報の役員になりました。
あるんですよ!!海外でも。
バンコク日本人学校は当時1500人もの生徒がいる
世界最大のマンモス日本人学校でした。おそらく今もかなりの数がいるのでしょう。
ですから、PTA総会ともなれば、ホテルの大宴会場を押さえて、
ホテル側との折衝をするということが必要だったり、
広報としてのビッグイベントである毎年二回の講演会に誰を招くか、
参加人数の把握と講演者との交渉、ホテル決めといったことが仕事でした。
日本から著名人を招くことも多かったですね。私のときは林真理子さん。
学校の出身者でもある浅丘ルリ子さんを招いた年もあったようです。
この講演会にバンコク在住の日本人精神科医の方に来ていただき、
「自分らしく生きるとは~コミュニケーション論~」をお願いしたのがきっかけで、
先生と内容ややり方などについて何回もやり取りを重ねるうちに仲良しになり、
講演終了後に
「真琴さん、この広報委員のメンバーでシェアリングワークショップをやってみない?」
と誘われました。
シェアリングワークの基本知識やルールなどをファシリテーターや参加者という立場を
通して、学んでいきました。
初めてその体験をしたとき、
「世の中にこんな面白いものがあったんだ!!!」と感動しました。
自分のつたない思いや心の中にためていた感情を言っても良いのだ!、
そして批判もジャッジもなしに最後まで聞いてもらえる!!ことの
喜びからだったのだと思います。
基礎を学び、グループを結成して先生の指導を受けながら1年。
皆がそれぞれの「ハードル」を越えられるように、という願いでつけられた
「ハードル会」という名前。
ずっと同じ8人のメンバーで月一回集まって、全員が順番にファシリテーターとなり、
そのつど、その会の内容をノートに記録し、次の会のファシリテーターに渡していく
ということをしていました。
帰国する人や卒業する人がいて、二年目になった時に新しくメンバーを入れ替え、
アドバイザーでずっと指導してくださった先生が
「もう私がいなくても大丈夫」と離れてさらに一年続きました。
私が帰国になったとき、2年目のノートに皆が私への一言を書いて、大事なノートを
記念にプレゼントしてくれました。急に懐かしくなってノートを開いてみると、
♪ 自宅で主催する外国人相手(日本人以外)のパーティーがプレッシャーで苦しい。
♪ タイ人への怒りと日本人としてのアイデンティティについて
♪ 外国での子供の教育について
など、日本では決してテーマにならにような内容もたくさんありました。
グループワークの醍醐味もまたその中で起きた問題点や反省点なども
先生のアドバイスとともに当時の自分達の悩みがそのまま綴られています。
私がファシリテーターをした会の感想にこんなことを書いていました。
☆あるがままの姿をだそう。
☆自分と違う意見をもっと尊重できるようになりたい。
☆人を知るのには時間がかかるもの。
自分達をみつめあってきた時間や自分そのものを愛おしいな~と感じています。
異国で暮らした大切で貴重な体験と共に、
同じその時間を共有していた仲間たちと語り合えたあの日の私は今の私に繋がっています。
そして、今、『五行のエッセンスと算命学のワーク』においても、
新しく始まる『魂の愛の学校』においても
シェアリングワークがその背骨の役割を担ってくれるのだと思うのです。
今後も大切にしたいワークです。